〜息子よ〜 エ?医者になりたい?どんな医者に? 超高齢化社会と向き合って

 

 "俺が不治の病になったとしても、一切の延命はしてくれるな。出来れば腹をかっさばく(=手術)のもごめんだ"

 

…医療系のテレビ番組などを観ていると、
決まって主人はこう言う。

 

妻としては、1日でも長く生きていてほしいのに、

なんでそんなこと言うんだろう…
と思っていた。

 

既に欧米諸国では、延命治療は行わず、
"尊厳死"を選択するのがスタンダードだという。

 

そういえば…。
昔のことをふと思い出した。

 

まだ子供だった頃、
昭和天皇が御崩御される直前、
やれ手術だ、輸血だ、また入院だ、今日の輸血は何CCだ、のニュース速報が繰り返し流れていた。

 

子供ながらに、それってキツイんじゃないの?
天皇陛下というより、周りの大人たちの都合なんじゃないの?と、幼心にも感じていた。

 

それとは対照的に、
祖父がなくなる間際のことも思い出した。

 

"おしっこが全然出ないんだ…"と言い出した祖父を、病院へ連れていくと、腎不全を起こしていた。もはや透析を施すのも難しい状態。


"もって、一週間です。治療はせずに、ご家族で側に居てあげてください" と、担当医師に告げられた。

 

私は、たまたま転職のタイミングで家に居り、
祖父にずっと付き添う事が出来た。

 

最初の2,3日は、祖父は本当に一週間の命なんだろうか…と思うぐらい、普段と変わらない様子だった。

 

しかし医師の宣告通り、徐々に病状は悪化していき、意識が混濁することが多くなっていった。

 

夢を見ているのか、正気なのか、
祖父は戦争の話をよくするようになった。

 

祖父の年代では、戦争の記憶が
やはり強烈な印象として残っているようだった。

 

それから間も無く、診断を受けてからちょうど一週間が経った日の明け方に、祖父は静かに息を引き取った。

 

家族みんなに見守られ、眠るように静かに…
だんだんと寝息が小さく…消えてなくなった。

 

あっという間に逝ってしまったようにも思えたが、今思い出しても、あの一週間が祖父と過ごした忘れられない時間となっている事に気が付いた。

 

これらの回想シーンから戻ってみると、、、


主人の発言に対して寂しいと感じていた自分も
実は、"尊厳死"というものを尊重する側の人間なのではないか⁈

 

息子よ、医者になりたいという志は立派だ!
全力で応援しよう!
だけどお前は、どんな医者になりたい?

 

お前が大人になる頃は、歩けば老人また老人。
晴れて医者になったとして、看る患者は死期の迫った者ばかりかもしれない…。

 

残される家族のために、1日でも長く生かせようと、

延命治療をしまくるか?
それとも、患者が元気なうちに、本人や家族とじっくり話し合い、穏やかな最期を見守るか?

 

息子よ、

 

その答えは風に吹かれ… …
ることなく、よくよく考えて決めるんだぞっ‼︎

 

〜母より〜

 

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(画像:prcm.jp)