"一部の人" は "全部の印象" になる
先日ニュースになっていた中国の話題。
マラソンレース中のランナーに、国旗を手渡そうとコースに入ってきた女性。
ランナーは一度は国旗を受け取ったものの、疾走中で手に力が入らず、
途中で落としてしまったとコメントしていた。
それが直接の原因かどうかは不明だが、ペースを崩したその選手は、
肩を並べて走っていた選手に追い越され、2位でレースを終えたという。
責めるべきは、
関係者でもないのにコースに侵入してきた上に、
レース中の選手へしつこく国旗を渡したその女性なのではないか。
普通にそう思ってニュースを観ていたが、中国国内では、
なぜか国旗を捨てた選手を責めるコメントが上がっているというではないか!
「国旗を捨てるなんて許せない」「中国を捨てたのか」
・・・驚き溢れた。
なぜ、選手以外の人物がコースへ侵入する事は、問題にならないのだろうか?
その侵入者が選手に触れたりしたら、その選手は棄権になってしまう、というのが
マラソンのルールだと思っていたが…
”国旗はOK” なんてルールは全く知らん。
コースに侵入していい、というルールなんてないはず。
中国といえば、
この他ドルチェ&ガッバーナのイベント告知動画に対し、
出演者がイベントをボイコットするという出来事も,最近ニュースになっていた。
ドルガバの件に関しては、わが国日本もお箸の国であり、
少し行き過ぎた動画であったように私の目にも映った。
けれど、
自国の選手を尊重しない、という声には、全くもって賛同できない。
それももしかしたら、一部の人の声であって、中国の方でも、
侵入者を責める声はあったのかもしれないが、
国外、つまり日本などのニュースで取り上げられるのは、
やはり自国とは逸した考え方の方だ。
それを観た日本人は、中国とは何と変わった考え方をする国なのか、
と、私も含め思ってしまうだろう。
大きなくくりの中の一部が原因で、そのくくりは同じものとして判断されがち。
だいたいが悪い印象の方へくくられてしまうのが常。
”人の振り見て我が振り直せ” じゃないけれど、
自分自身も気を付けなければと思う。
一社会人として、妻として、母として、
今いるこの社会で暮らす社会人として。
共存者を辱めることのない人間でありたいと願う。